ブランドの歴史
数々の伝説と歴史的瞬間に彩られた、ブランドの軌跡
- 1896
- 1908
- 1909
- 1920
- 1920
- 1926
- 1932
- 1933
- 1935
- 1940
- 1942
- 1943
- 1946
- 1947
- 1948
- 1949
- 1950
- 1952
- 1953
- 1955
- 1958
- 1960
- 1966
- 1968
- 1978
- 1988
- 1989
- 1997
- 1999
- 2001
- 2004
- 2007
- 2010
- 2013
- 2014
- 2018
- 2019
- 1896ハリー・ウィンストン、ニューヨークにて誕生移民の息子であったハリー・ウィンストンは、慎ましやかな環境の下、幼い頃から父親が経営していたウェストサイドの小さな宝石店でさまざまな宝石に触れて育つ。
- 1908宝石への情熱の目覚め12歳の時、ハリー・ウィンストンは質屋のコスチュームジュエリーのトレイの中にある緑色の石に目を奪われた。店主がガラスだと思っていたその石が、エメラルドだと見抜いた彼は持ち合わせていた25セントで、25セントのこの石ともうひとつの石を購入。帰宅後彼からこの緑色の石を見せられた彼の父親もまた、ただのガラスだと思いヤスリで削ろうとするが、間一髪で息子に止められる。質屋での発見からわずか2日後、このエメラルドはハリー・ウィンストンにより800ドルで販売された。
- 1909西海岸へ移転ウィンストン一家は西海岸に移転し、ロサンゼルスで宝石店を再開。 ハリー・ウィンストンは父親の下で経験を積み、数年後ニューヨークへ戻った後、自身でビジネスを立ち上げる決意をする。
- 1920プレミア・ダイヤモンド社24歳で、最初のビジネスとなるプレミア・ダイヤモンド社を五番街535番地に設立。たった一人で会社を立ち上げ、その成功のために奔走する。
- 1920エドナとの出会い1920年代後半、アトランティックシティへ向かう電車の中で、ハリー・ウィンストンは、後に彼の妻となる魅力的な女性、エドナ・フライシュマンに出会う。
- 1926アラベラ・ハンティントン夫人のエステート・ジュエリーを獲得ハンティントン夫人は、有名な真珠の首飾りを含む、20世紀で最も重要とされるコレクションを所有しており、そのエステート・ジュエリーの購入は120万ドルで交渉された。およそ90年の時を経て、ハンティントン夫人のエステート・ジュエリーにインスピレーションを得て、ベル・コレクションが誕生する。
- 1932ニューヨークでハリー・ウィンストン社を設立ジュエリー市場において高い評判を築き上げ、ビジネスを大きく拡大させたハリー・ウィンストンは1932年、自身の名を冠したジュエリーブランドをスタート。ハリー・ウィンストン社を設立する。
- 1933エドナとの結婚長い求婚の末、ハリー・ウィンストンはエドナ・フライシュマンと1933年2月に結婚。教養のある洗練された女性であったエドナは、魅力的な影響を与えた。彼女の上品な美学はしばしばハリー・ウィンストン社の広告にも反映された。
- 1935「ヨンカー」を獲得世界中の注目を浴びた726カラットのダイヤモンドの原石を獲得。この貴重な原石をニューヨークへ送る最も安全な方法として、幾度もの議論の末ハリー・ウィンストンが選んだのは、送料64¢の普通書留郵便であった。「ヨンカー」は12個に分割され、一番大きなものは125.35カラットのエメラルドカット・ダイヤモンドとなった。
- 1940ウィンストン・クラスター1940年代初め、当時業界で最も名声を博していたアーティストの1人であるネヴドン・クムルヤン率いるハリー・ウィンストンのデザインチームは、ハリー・ウィンストンの象徴となるウィンストン・クラスターのモチーフを完成させる。
- 1942ニューヨーク東51丁目7番地に移転ビジネスの成長に伴い、セントパトリック大聖堂に隣接する建物に移転。ここにはショールーム、デザインスタジオ、工房、ルースの専門部署が置かれた。また、この建物にはウィンストン一家も居を構えた。
- 1943ストータスベリー・エメラルドハリー・ウィンストンは、彼のキャリアの中でも最も重要なカラージェムストーンの一つである、34.40カラットの六角形のコロンビア産エメラルド、「ストータスベリー・エメラルド」を獲得する。この石は所有者であった著名な金融家の妻である社交界のエヴァ・ストータスベリーにちなんで名付けられた。
- 1946ブリオレットハリー・ウィンストンは、アメリカの慈善家であった未亡人から、90.38カラット、Dカラーのブリオレットカット・ダイヤモンドを購入する。その後、ハリー・ ウィンストンはこのダイヤモンドを世界中の重要なコレクター達に数回にわたり販売した。
- 1947キング・オブ・ダイヤモンドコスモポリタン誌は創始者ハリー・ウィンストンの輝かしいキャリアを評して、“キング・オブ・ダイヤモンド”という呼び名を贈る。
- 1948ウィンザー公爵夫人ウィンザー公爵夫妻に初めて謁見。公爵夫人は熱心なジュエリーコレクターとして知られており、「あなたはとても素晴らしいものをお持ちだと友人から聞きました」という一文からはじまる手紙をハリー・ウィンストンに送り、有名なマクリーン・ダイヤモンドを含む数点のジュエリーをハリー・ウィンストンから購入した。
- 1949コート・オブ・ジュエルズ(宝石の宮廷)熱心な慈善家であったハリー・ウィンストンは「コート・オブ・ジュエルズ(宝石の宮廷)」と銘打った彼の貴重なダイヤモンドや宝石の展示会を開催。地域の慈善事業のための寄付金を募りながら行ったこの展示会は、4年間にわたって開催され、1953年に閉幕した。ハリー・ウィンストンは、「貴重な宝石をより多くの人々に知ってもらいたい」と語っていた。
- 1950ウィンストン・ガーデンハリー・ウィンストンと彼のデザイナーチームは、自然界で最も堂々とした花のひとつ、ひまわりの整った均整美からインスパイアされたジュエリー、サンフラワーを発表。
- 1952ハリー・ウィンストンの驚くべきコレクションライフ・マガジン紙が、ハリー・ウィンストンは歴史的価値のある宝石を英国ロイヤルファミリーに次いで世界で二番目に多く所有していると報道。
- 1953ダイヤモンドは女性のベストフレンド映画「紳士は金髪がお好き」が公開。この映画のヒットソング「Diamonds Are a Girl’s Best Friend(ダイヤモンドは女性のベストフレンド)」の中で、主演のマリリン・モンローが“教えて、ハリー・ウィンストン!私にダイヤモンドのすべてを!”という有名な一節を歌う。
- 1955ハリー・ウィンストン社の海外展開ハリー・ウィンストンはスイスのジュネーブに初の海外店舗をオープン。また、1957年には、フランスのパリに店舗をオープンした。
- 1958ハリー・ウィンストン、「ホープ・ダイヤモンド」を寄贈ハリー・ウィンストンは、ワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館に「ホープ・ダイヤモンド」を寄贈。国家的な宝石所蔵の基盤となる。
- 19605番街718番地へ移転ビジネスの急拡大に伴い増加する顧客の要望に応えるため、より広いスペースを確保する目的で、ハリー・ウィンストン社は新しい拠点として5番街718番地へ移転する。 保険会社によると、この移転は歴史上過去にないほど大規模なジュエリーの運搬だとされた。引越しの前夜、ハリー・ウィンストンはスタッフに、彼の「お気に入り」の宝石を集めるよう指示し、彼自身がそれらを梱包して5ブロック先の5番街へと運んだとされる。
- 1966テイラー・バートンハリー・ウィンストンは、241カラットのダイヤモンド原石をカットし、69.42カラットの完璧なペアシェイプ・ダイヤモンドを生み出した。やがて、この傑出した宝石は、俳優リチャード・バートンが妻である女優エリザベス・テイラーに贈ったことから「テイラー・バートン・ダイヤモンド」と呼ばれることとなった。
- 1968レソトハリー・ウィンストンは購入した601カラットの原石、「レソト・ダイヤモンド」を分割する様子をテレビで生中継。「レソト」は最終的に71.73カラットのエメラルドカット・ダイヤモンドや、海運王アリストテレス・オナシスがジャクリーン・ケネディに婚約指輪として贈った40.42カラットのマーキースカット・ダイヤモンドを含む、18個の美しいダイヤモンドに分割された。
- 1978一時代の終わりハリー・ウィンストンがニューヨーク市内で死去。82歳であった。
- 1988ハリー・ウィンストン日本上陸ハリー・ウィンストンは日本で初めてのサロンを東京にオープン。
- 1989時計業界への参入ハリー・ウィンストンとして初めてのタイムピース・コレクション、「HW プルミエール」を発表。創始者が初めて設立した会社名にちなみ名付けられる。
- 1997ハリー・ウィンストン・ギャラリー有名な「ホープ・ダイヤモンド」が展示されているワシントンのスミソニアン博物館にハリー・ウィンストン・ギャラリーがオープン。
- 1999スターたちのジュエラー映画「恋におちたシェイクスピア」でアカデミー賞主演女優賞に輝いたグウィネス・パルトローは、授賞式でハリー・ウィンストンのプリンセス・ネックレスを着用。 このハリウッドでの象徴的な出来事は、「スターたちのジュエラー」としてのブランドの存在感を世界中に示した。
- 2001オーパス著名な独立時計師とのパートナーシップにより革新的な時計、オーパス・シリーズの展開を開始。
- 2004東アジアハリー・ウィンストンは台湾で初めてのサロンをオープン。
- 2007時計工場世界の時計製造の中心地であるスイス・ジュネーブに、時計工場をオープン。
- 2010リリークラスター・コレクション発表ハリー・ウィンストンのアイコンであるクラスターのモチーフを現代的に再解釈し、満開のユリの花の洗練された形状にインスピレーションを得た、リリークラスター・コレクションを発表する。
- 2013ウィンストン・レガシーハリー・ウィンストンが手に入れた、101.73カラットのダイヤモンド「ウィンストン・レガシー」。フローレスかつカラーレスのペアシェイプ・ダイヤモンドは、当時クリスティーズのオークションハウスにより「これまでオークションにかけられたダイヤモンドの中で、最も完璧なもの」と称された。
- 2014ウィンストン・ブルーハリー・ウィンストンは、13.22カラット、フローレス、ファンシーヴィヴィッドブルーのダイヤモンド、「ウィンストン・ブルー」をオークションで獲得。クリスティーズはこのペアシェイプのダイヤモンドを、最大級のブルー・ダイヤモンドと表現した。
- 2018ウィンストン・ピンク・レガシーファンシーヴィヴィッドピンク、18.96カラット、タイプⅡaの非常に希少なピンクダイヤモンド、「ウィンストン・ピンク・レガシー」を獲得。
- 2019ロックフェラー・ウィンストン・エメラルドかつてロックフェラー一族が所有し ていた18.03カラットのエメラルド、「ロックフェラー・ウィンストン・エメラルド」の新たなセッティング・デザインを発表。